舞に寄せる想い

トップ | 舞に寄せる想い

MESSAGE

出演者からのメッセージ

海女への憧れ 「珠取海女」の物語


 
 地唄「珠取海女」は、能「海士」の玉乃段をもとに作られた曲で、スケールの大きなドラマチックな展開の曲として人気があります。もちろん、私も大好きです! 今回、由緒ある能舞台で素晴らしい音楽とともに舞わせていただけることになり、喜びと緊張で一杯です。
 能では、藤原房前大臣が亡き母の菩提を弔うため四国・讃岐を訪れ、志度の海辺で出会った海女から、かつてこの地であった出来事を聞きます。
 それは、房前の父・右大臣藤原不比等(淡海公)が、唐の皇帝から贈られた宝珠(面向不背の珠)をこの海で龍王に奪われてしまい、取り返したいと身分を隠してこの地を訪れ、海女と結ばれて一子を設けます。経緯を知った海女は、我が子を世継ぎにするという約束で、身命を賭して深い海に入り、見事、宝珠を見つけて奪い返しますが、引き換えに命尽きるというもの。その大胆な秘策は……。
 そして、自分こそ、その海女の霊であり汝の母であると明かして、波間に消えます。能では、海女が龍女となって舞う後段がありますが、地唄はここまで。
 母の愛と自己犠牲の物語として知られる「珠取海女」ですが、その背景には身分違いの恋があります。愛する夫を助けるとともに、子の存在によって自らの想いを全うしようとした…と私は思います。この海女の、女性として母としてのやさしさと強さに、魅了されてしまいます。
 また、海女とは文字通り海に生きる女性。海には今なお未知の領域が多くあり、さまざまな浪漫に満ちています。海女には、どこかミステリアスな海の香りがしませんか?
 このたびの舞台では、拙い舞ながら、そんな海女の想いを感じていただけたら、うれしい限りです。情緒あふれる唄、奥行きのある演奏とともに楽しんでいただければと願っています。
 

神崎 貴水

哀しみの果てにあるもの 「鉄輪」を想う


 
 地唄「鉄輪」は、能「鉄輪」をもととした曲です。歌詞の(あしかれと~から終わりまで)が能の「鉄輪」の末の段の詞章をそのまま用いています。
 夫を女に寝取られた自責の哀愁と、嫉妬のあまりに鬼とならんとするほどの凄まじい情念とを描いています。
 能の「鉄輪」は、平家物語の中の話から材を取っています。都に住む女が、夫に捨てられた恨みと嫉妬の一念から山城の国の貴船神社に丑の刻参りをします。やがて邪鬼となって、恨みに思う男と女の枕辺に迫り、二人を呪い殺そうと責めますが、陰陽師安倍清明の祈りや、まつられた神々に調伏され、近づくことが出来ずに退散して行きます。
 地唄舞では技巧を控え、抑えた演技で嫉妬に狂う女の悲惨で物悲しい姿を表現しています。
 私は、嫉妬に狂う気持ちよりも夫婦でいた時間を忘れることが出来ず、そして裏切られた哀しみを絶ち切れずに一人ですべてを引き受け、背負わなくてはならない女の姿が、影が、見えてくるのです。
 何度も舞わせて頂いている「鉄輪」ですが、年を重ねた今が一番この曲に寄り添えるような気がします。私の心の振動を、舞台を観て下さったすべての方々に感じて頂ければ……。
 鬼になりたくてなったのではない、いつかこの女(ひと)が優しい静かな心になってほしいと念願し、「祈り」の心で舞いたいと想います。
 

神崎 貴映

「御所のお庭」への思い


 
 初めて「御所のお庭」を観たのは、小学生の時、神崎流宗家である、神崎ひで師の舞台でした。
 地唄舞が、どのようなものかも判らない私でしたが、ご宗家の眼線一つに衝撃を受け、鳥肌が立ち、ただ、「カッコイイ」と思ったことは、半世紀以上経った今でも鮮明に憶えています。
 それから、一門の舞初め等で何度も舞い、多くの方に指導もして参りましたが、この曲は短いながら、右大臣、左大臣、緋袴の官女や、雪を喜ぶ子供、果ては、渡辺綱など、目まぐるしく役回りが変わり、扇一本で、弓矢、箒などを表現しなくてはならない、難しい曲でもあるため、その度ごとにあらためて難しさを感じ、あの日私が感銘を受けた「御所」には、一向に近づけません。
 それでも、大好きな曲であり、この曲を浚う時には、あのご宗家の舞を思い浮かべ、精進を誓い、大切に舞っていきたいと思っています。
 

神崎 貴加江